会津        2007 10/28〜29
 大内宿
会津と日光を結ぶ、会津西街道は重要な街道だったが、新政府となり明治17年に現在の
国道121号線が開通すると、大内宿は道すじから遠く離れてしまう。この事が幸いにして
江戸時代の宿場を今に残している。     
子安観音堂から眺める宿場は穏やかな、ゆったりとした風景だったが、萱ぶき屋根の保存が大変と聞く。
美味しそうに頂いている知らないおじさんをパチリ。大内宿名物のねぎ一本そば
塔のへつり
100万年の歳月をかけて侵食と風化を繰り返しから出来あがった見事な景観。紅葉が岩肌を飾る
「へつり」とはこの地方の方言で危険な崖を言う
野口英世記念館より望む紅葉の磐梯山
英世に宛てた母の手紙「はやくはやくきてくだされ・・」帰郷を願う母の思いが胸を打つ
鶴ケ城(若松城とも言う
会津藩23万石。幕末戊辰戦争では旧幕府派として最後まで抵抗した為、会津が激しい
戦場となった。飯盛山で自刃した白虎隊(15歳から16歳の少年達)の悲劇が涙を誘う
磐梯山
滑滝展望台より紅葉の磐梯山          磐梯五色沼のなかの毘沙門沼